◆買付から車検までの実際のストーリー

(2024年現在)

実際のお客様の買付から修理車検までの実話

で長いのですが。かなり特殊な修理を段階的な

プロセスや実態、少し踏み込んで多岐にわたる

経験やコメントを綴っています。

 

Vintage車両はそれぞれが程度(状態・修理内容

)環境など全く一様ではありませんのであくまで

も理解のための一例参考としてご覧ください。

下の写真は実際の広告です。CRAIGSLISTより

◆オーナーが車体選択時に求めたきっかけ

ご本人生まれ年と同じ製造年車体を選ばれま

した。それは単なる自己満足なこだわりという

だけではなくエアストリームがそのジュラルミン

(2024 T3 0.032) を使用する構造から半永久

な超長寿命であることの証でもありオーナー

としてそれを表現・自覚することとも言えます。

お客さんが初めからそれを望まれることは少

なくありません。

私自身、一番最初に選んだ車体は1964年の生

年製造を(下写真)輸入しています。昔に手放し

てしまいましたが今でも欲しい車体です。写真▼

◆いきなり脱線話ですが

最初に2000年11月に ebayで落札したのが

1964年Bambi2(II)。1961年から1963までの16

フィートBambiの1フィート延長モデルで17に

なった1964年モデル。昭和39年東京オリン

ピック/新幹線開通と首都高速完成と高度

経済成長の昭和に製造されたのです。この

モデルは翌年1965年からその名前ではなく

なります。17フィートは最短全長のモデル

となりCARAVELキャラベルに変わります。

(船舶用語の小回りの利くという意味)

BAMBI-2(II)は1964年のみのラインと

なってしまいます。

◆シカゴ郊外の田舎町へ

Marengoという小さな町のさらに町はずれ

個人宅、大きな納屋の前に待ち合わせ。

トラベラーズチェックを沢山持って初めて

のアメリカに取りに行きました。とても親切

な若い売主でしたが、義理のおじいさんの

車体で代わりに彼がebayに出品。たまたま

日本人が落札というわけでした。

 

◆売主はエアストリームについて全然

興味ない人でしたが事前のメールも、私の

poorな英語メールに親切に対応していただ

けました。ビギナーズラックとても運の良い

取引でしたが、カギと書類を渡されるとあと

は、さようなら。それ以上は彼を頼ることが

できません。2001年正月豪雪によりシカゴ

は空港閉鎖になっていて到着前日に復帰

したような状態でした。

ここからロスアンゼルス修理工場まで現地

陸送業者に預けますが予備知識も乏しくそ

の場その場で苦労しつつ何とか頼みました。

英語の堪能な友人同行を準備していたこと

もあり横浜に来たのは五月過ぎです。

日本で修理する前に両サイドにオーニング

テントを装備しました。▼写真リンクは

Youtube。映像後半は大雪の残る買付時。

ビフォーアフターの映像です。テイクアウト

店舗をイメージしてZipdeeオーニングを

両方に着けたものの実際の営業はして

いません。当時の8mmビデオカメラ動画

から編集したものなので今では見れない

低画質です。日本から初めてのyoutube

映像です。やはり1m幅の窓は大きいです。

 

生まれた年の車体を選べるという事実

エアストリームがジュラルミンで製造開始した

1935年から現在に至るまで生産された車体

がいまだ多くアメリカ全土の道路に存在する

というのは事実です。1936年1月17日に発表

されたClipper以来生産されたすべての60%の

車体が存在しているといわれています。

この事実は現代のクルマ社会だけでなく工業

製品で特に公道では驚くべきことなのです。

もちろんFordをはじめアメリカでは大切にされ

続けているクルマ文化はその厚みには驚愕

しますが単なる貴族王室の宝物ではなく庶民

の文化財としてとらえらることは代々家族に

愛された使用品として博物学的な権威ではな

い趣があります。

単にアルミ合金である素材耐候性による結果

ではありません。オーナーや家族の代々人生

の時間とリンクしたものを相棒とする喜びにな

るのは自然です。彼らには祖父祖母のアルバム

のなかに新車の時のAIRSTREAMがあったり

するのです。

 

◆興味のない人にとっては

余計なことですがとても嬉しい事実です。

ただ実際は現実的にチョイス購入できるの

は戦後のエアストリーム1946年以降の車体

で正確には1947年以降の戦後のエアストリ

ームから広告は出てきます。

◆クリックで上の写真の車両によりレンタルし

千葉で撮影されたPVリンクでご覧になれます。

youtubeより

 

◆今回のオーナーの生まれ年は1969年

アポロ月面着陸の年。1969販売年各モデル

車体販売広告はたくさんあるなかでも日本国

内で無理なく実用的に牽引できるサイズを探

すことになりました。当時のラインナップでは

比較的短い18から23や25フィートから結果的

には21フィートのGlobe Trotterに希望の車種

が固まり出しました。千葉展示場に16フィート

から25フィート・20フィートも年代こそ違っても

実車があったためオーナーのトレーラーに求

めた空間感覚は確かなものとして車種選定

ができたと思います。下の写真は購入時の

現地現状。乾燥した空気感が伝わります。

どんな車でも、実物を観ないと選択条件は

曖昧なままです。まして、商品見本とはいえ

買付けそのものの車体ではないのです。

◆ネット広告、アメリカクレイグスリスト

個人売買広告から予算や目的に合う車体は

大変少なく限られた選択肢から選ばれました。

テキサス州オースティンに近い田舎町の草原

にひっそりたたずんだ写真は程度は良くない

のですが全面的に改装してフレキシブルな

使用目的にする方向性で決断されました。

 

◆決定後

オリジナルは程度の問題もありますが良いも

のは倍以上高く日本で使わないものも含めて

各部の日本仕様への改造も修理も予測され

ます。また今回は改装することで決まっていた

ので室内は無くて良いという見解でした。

また欲しいものが港の近くにあるとは限りま

せん。米国での陸送費用は覚悟で決断され

たものでした。売り広告の土地までロスアン

ゼルスから約往復4000kmです。近いところ

西海岸は基本的に高いようです。相場的に

どうですか?と聞かれることは多いのですが

正確に答えるとしたら相場や程度には関係

ない例を沢山見てきました。ただ相場という

言葉では何も語ったことにならないのが

実感です。はっきりしていることは売主の

値付けは売主の自由で、気まじめな日本人

の言葉にすると[むちやくちゃ]が正解。

 

◆カリフォルニアとテキサスの往復約4000km

CAから、かなり遠いのですが平らなハイウェイ

ロードサイドの売主で比較的楽な陸送。下の

写真は買付の帰路アリゾナ州ラプトン。 休憩

で立ち寄ったナバホインディアンゆかりの観光

地のスナップ。

◆買付陸送

買付着手の最初は現地の協力スタッフから

売主に直接調査連絡をとり取引内容の確認を

含めた会話となります。現地人にしか理解や

推理できないこともあります。今回は全体的に

良好な取引でした。

 

◆詐欺広告

今やネット個人販売広告は国際的な常識と

なりましたが、詐欺も横行しているのが現状

なのは言うまでもありません。日常生活の

隅々までネットを通じて犯罪も重大化し連日

報道されています。もちろんアメリカの中古

市場も同じで、より大胆です。しかし現地生

まれの生活者であれば、あからさまな杜撰

な詐欺広告はすぐわかります。

日本にいても、ネットの広告で良い車体が

破格で安い場合は判断は容易。詐欺広告

を出す人の狙いは面倒くさいマニアではな

く不用心な素人です。

 

◆ネット社会の事件はVintage Trailerにも、、、

そうはいっても中古マニアもたくさん見る広告

サイトにですら詐欺注意と警告表示があるの

で被害が実際あるのは明らか。

わたしも現地保管車両で盗難にあったことは

ありますが、幸運にも現地スタッフの努力によ

り犯人を突き止めて返してもらいました。犯人

も足の付くことをネットでやらかしたわけす。

◆アメリカ陸送と海上輸送リスク

現地スタッフの交渉センスやトレーラーの知識

と人を見る目、相手の言葉使いなどからの推理

・総合的な判断などなど買付に挑む準備はただ

の運び屋的な仕事ではなく単純ではありません

。まして長距離の陸送は経費確保と安全対策を

したとしても実際には絶対はこの世に無いのが

現実です。海上も先般のドイツ車電気自動車の

バッテリーから4000台の車両と船が沈没に至

ったことも記憶に新しいのですが、現在訴訟に

発展しています。その意味でも保険の必要性

はあり、買付の際には判断選択をしてもらい

ます。

 

◆現地の買付陸送協力

写真は長期にわたり現地で協力してくれ

ているタフな友人です。トラックはいつも

オーバースペックですが買付の旅は過酷な時

もあり幾多の困難を超えて輸出してくれてます。

 

◆取引交渉については

売主が良い人であっさり済んでしまう場合も

ありますが未知の相手のあることは何度や

っても予測できず慣れれば良いということで

もありません。その点では永年のパートナー

シップの経験あるスタッフ対応は頼りになり

ます。元海兵隊というアメリカでは強烈に

意味のある経歴です。事故も事件も乗り越え

て対応できますがその都度もちろんタダでは

誰も動いてくれません。現地協力スタッフが

安心して動けるように買付時には日本から

車体現地価格以外にかかる必要経費送金

があるわけです。事案が予測される金額を

見積もるわけですが車両代金と同時に送金

します。不測の事態もありえるのでその都度

ご請求することもあります。ご理解いただき

たい点となります。誰がやってもかかること

経費です。

 

◆売主はアメリカ人だから買付もアメリカ

人協力スタッフ。

 

また、アメリカでの個人売買の市場では売主も

本当の売主なら対等に交渉する権利主張が

ありその販売権の自由な立場は強く譲りませ

ん。人気のあるエアストリームですから売る方

はよほどお金に困らない限り当然強気です。

売る方の立場になればあたりまえですが意外

なのは酷い車体程度でも、高値強気な人もい

るので日本人感覚の売買とはまるで勝手が

違います。

また売買以外の協力をしてくれる親切な売主

は、いないという気持ちで挑まないといけま

せん。アメリカ人の同じような買付をする人は

相手を見て現金を見せて強く立ち回ると豪語

していますが確かに、売主は理由があって

車体をお金に替えたいので、目の前の現金

は最も強力な安心材料であり、買う側では

強力な交渉手段なのは言うまでもありません。

 

日本からの送金や手続きの流れからタイミン

グが遅れ逃がすことは決して少なくありません。

その為あらかじめ現地に目的の概算予算は

送金しておくことも確実な方法ですがそれは、

買付依頼者にゆだね判断してもらいます。

 

◆ネット広告の凄いところは、

欲しい人はどんどん来ますから売る方も

良い条件を選ぶ権利があるわけです。

何度も買付手前で現地の他の購入希望者

に売却されてしまっています。

現地コンペティターの現金即金まして高値

提示の場合は太刀打ちできません。

早い者勝ちではなくて早く現金を持って行く

者が勝ち取るので国外からの現実が立ち

はだかります。

◆あきらめて

他を探せるなら良いですが希少で絶対という

ことなら、かなり良い条件を出せる余裕が

無いと話は進みません。手付金も手ではあり

ますがそれですら絶対ではなく拒否される

ことも良くあります。売る側の権利意思です。

 

◆現地RVショップでも買える

そんなわけで買う側も礼儀正しくお金には

しっかりと払う準備ができていないと買付け

はできません。流通しているRVショップなど

も委託販売があるのでショップで買う場合は

比較的安心ですが、個人相手ということは

ある種の常識が適応されないわけで、挑む

方は準備をして挑むことが好ましいですね。

ただRVショップの方は割高なのは常識。

 

◆結局誰も絶対とは言えない買付

まして、アジア系の外国人が買付に来ること

を良しとしない人々がいるのはこのアメリカの

誇りのブランドならなおさらかもしれません。

国外に出すことを拒否することも無いとは

言えません。かと思うと全く関係ない人もいた

ことは経験的な事実です。20年以上の経験

から総括すれば、予測しない事態は確かに

あります。そして運もあるのだと言えます。

 

◆買付そのものが嫌いな人がいても

それはそれです。在庫店は沢山増えまし

たのでそういう方はそちらで購入されます。

補償の無い危険な買付を否定するのも

自由です。単純にリスク回避分高いのです。

私は自分が最初のお客様です。自己責任

で求めるわけですから何があっても自分の

欲しいものを安く輸入することを選択した

のでした。

 

選択と経緯の中で何台か逃して最終的に

決まった車体は、これも縁だと言えます。

そしてオーナーにとって良いことも経験上

は多かったとも言えます。一つ言えることは

時間がたってからエアストリームにして結果

良かったと気付くほうが多いということ。

最初から全てはわかっていないのは当然

といえば当然です。

 

在庫販売の棚から持ってくることではない

違いは大きく、危険なリスクも当然あります。

補償はできないのですがメリットもそれを

凌駕するほど大きいことは有ります。

なかなか理解しにくいのも現実です。

初めての場合は特に漠然とした金額と価値

のイメージの一般的な基準にあてはめよう

としてしまいます。

そこはお客様の立場と経験的な理解が違う

ところです。一般的に無いものが理解されな

いのも無理もなく致し方ないものです。

 

◆それでも買付する意味

私は、私自身が最初のお客様です。自分の

ためにリスク自己責任として買付輸入をして

きました。運が良いと言われたらそれまでです。

ただ、だれがやっても事故は起きます。

それは、社会では保険で済む場合は決して

全てを補償してくれません。最後まで損だと

思う人には損害なのです。

2000年から2001年最初の半年で必要性から

6台輸入しました。当時は何かを言う相手すら

いませんでした。

気付くとエアストリームに住めて、ローンから

解放され、子供を授かり仕事やレジャーなど

すべてをエアストリームで体験。また修理から

パーツの製作、全国に納車までオーナーが

困ること、楽しめることを両方知りえる立場

となったわけです。

また国内外橋渡しですから良くも悪くも様々

トラブルや不測の事態は経験はしています。

アメリカの買付については実際遂行スタッフ

に頼むので当方は間接的になりますが輸入

については常に当事者になるわけです。

その立場でサポートする側として買付代行

請負を考えています。

 

見解の異なる人は国内在庫の手がある

のでそこでお別れになることもあります。

あくまで欲しいものを現地から直接買付けす

る意味がある人のみが進めればよい話で

まさにご縁です。答えはお客様の立場や

希望も考慮して進めることなのでフレキシ

ブルな対話で双方の協力理解関係を創ろう

と思っています。またそうした理解が双方に

とっての請負契約条件の大前提なのです。

 

 

◆相場為替

良くも悪くもネットの風潮で相場は20年以上

前の2000年から比べると驚くほど値上がり

しました。言うまでもなく為替ということも輸入

までの総合経費には燃油高騰や輸入消費税

もあり大きく影響します。

 

 

カリフォルニアのほうで輸出の船を数週間待つ

間に輸出時の最低限のレギュレーションクリア

するための掃除や措置をしてもらいます。

この段階で大きなパーツの必要性が有る場合

は調達する余裕もあるので船の時間差は有効

活用できます。

各部の状態もはっきりしてきます。

◆車体は1969年

70年代へむけた大きなモデルチェンジ初年度

となり色濃く60年代の構造が残っていて70年代

の時を経るとともに変更され消えていくデザイン

部分が良くわかります。フロントウインドウは70

年代を象徴する大きなデザイン変更です。

フロントウインドウの両サイドに小窓のウイング

ウインドウがより広い視界、米国大自然の風景を

パノラマビューとして楽しむことを可能にします。

今回は割れていますが全体に白化劣化の為全

交換となります。この年はアクリルですが以後

セーフティーグラスへ変更。補修はポリカーボ

入換を前提にしています。

RVのルーフクーラーは壊れていてもともと稼働

音も煩く重いので取り外し穴にはルーフベントの

現行パーツのファン付新品を入れます。

上の写真を見るとサイドには過去のオーナーが

12V配線の取り込みやすい位置にポーチライト

を付けた残骸がありボディーには穴があるわけ

です。タイヤの上には特徴的な四角い吸排気穴

がありますがガス暖房器具の煙突穴で室内に

大きくスペースをとるものですから今回は同じ

ジュラルミン板にて塞ぎます。

 

クーラーの隣のトラック楕円の大穴は当時の

冷蔵庫排気口になります。アルミカバーは欠落

していますが入手は可能なパーツです。

アメリカでの車道側ロードサイドです。歩道側を

カーブサイドといいますが過去のオーナーは窓

にオーニング(布製ロールの日よけ)を付けてい

たので全ての窓の脇には操作用アームがある

ため残骸が目立ちます。クーラー下に見える

排気口はキッチンレンジの排気口です。良く割

れたりしますがカバーもまだ入手可能。ランプ類

はすべて購入可能なので新品に。値段やストック

状況は一定では無いです。

最近はLEDに置き換わりいわゆるフィラメントの

年代オリジナル同等のものは少なくなりました。

◆まず危険な掃除

現状は汚さの満載の廃墟感で普通は嫌悪感

になりますが実際生物や菌などなど不用意に

触れない危険なものばかり完全防塵マスクコ

スチュームで清掃作業するほかありません。

この段階で使えるものと、捨てるもの。そして、

どんなことがあっても捨てられない部品・破片や

購入すべきもの、etc.などの取捨選択をします。

過去には注射器、下着から各種小動物

のミイラなどなど、最初に挑む緊張感を持つべき

完全防護の作業となります。ただの廃棄ではなく

後でやる修復を考えつつやっていきますが全て

が思うようにもいかないのは事実。基本レストア

には関係ないものでも、過去のオーナーが

落としていった小物も中には良いものもあり

保管しておくこともオーナー次第です。レストア

に不要なパーツや破損撤去のパーツも、補修

次第では未来のオーナーさんのために使える

ものもあるのでゴミの中に見方を変えた宝は

驚くほどよくあるのです。そうした過去の宝もの

で今回のオーナーさんの車体にも数か所生か

されました。落し物のKEYですら、、

もともと外部からのアクセスドアは共通KEYで

すが、メインドアの鍵ですら別の車体が開く場合

も過去にあります。余談ですが、、、

 

上の写真はフロントから後方を見ています。

後方床板はロードサイドがダメですがフレーム

問題との関係もあり後方全体は撤去は一目瞭然

です。また写真ではわかりませんが反対のカーブ

サイドは床が抜けボディごと脱落し傾いています。

これも下部チャンネルが床抜けにより支えが

無くなったのが原因。この状態でもタイヤとボディ

との関係が他の床面とボディで維持されて帰路

約2000キロ牽引できたわけです。

◆箱型のガスパネルヒーター

は下部にバーナーがありフラットな

放熱煙突で室内はオーバースペックで暖まる

シンプルな構造。アメリカの器具はガスを大量

消費しますので日本で使用は可能ですが使用

頻度によりガス代は高く全ては運用する人

次第です。ドアロックもこれくらいの程度だと

壊れていても自然ですが補修で復活できる

場合もありパーツがあるのは良いことです。

無ければオリジナルとは違いますが似たよう

なものに置き換え可能。ebayで落札は高額。

◆タグ付き乗船待ち状態。

後ろはまるで大きな駅ビルくらいある車両

輸送専門のRORO船。

下の写真は過去のものですが船の大きさ

です。これが沈没するのですからEV恐るべし。

◆スペアタイヤホルダ

今回は派手なものはついていませんが60年代

良く見るものは鉄板溶接金具です。しかしこの

年代はボディーフロント下部の見えない空間に

床下吊り下式が採用されて現在に至ります。

壊れていたのか無造作に取り付けてありま

した。後のフレーム写真ではタイヤスペース

が確保されているのが確認できます。

以前のスペアタイヤの居場所はそれはそれで

オブジェ的なアクセントとして歴史的魅力です。

下記写真は参考ですが今回のオーナーの友

人であるご夫妻の車体で1960年製造です。

一つ一つの存在に歴史と意味があるので

それらを発見し再生するのもひとつの楽しみ

方でもあります。

いずれにしてもトレーラー運行には最大必

須項目がスペアタイヤ・タイヤ交換です。

クーラー室外機もガスタンクスペースに着

けることができるのですがどう使うかは

オーナーの自由。下の写真は日本の家庭

用エアコン室外機をつけた状態です。

タイヤのパンクはいつ起こるかは誰にもわか

りません。しかしタイヤさえしっかりあれば牽

引移動できるのが最大の強みでもあります。

被牽引車両の意味は動力を持たないことで

様々なシステムの不具合から解放され文字

通り軽くなることであり、自動車やメカの醍醐

味とは別の世界としてとらえるべき存在。

一般のクルママニアには思いもよらないほど

フレキシブルな可能性と社会的文化的交流

を含めた予想外な価値が大きいと言えま

しょう。そうした交流の場はプライベート

キャンピング空間としての使用だけでなく

さらに、大きな意味を持つことができます。

 

◆今回のオーナー

は購入前に当方にて多くの車体実例を時間

をかけご自身の目で展示車体や別オーナー

の所有車体をつぶさにご覧になられました。

到着した日には車体を見てすぐに多くを推測

判断できる彼は実車現状を見て興奮とともに、

いろんな不安を持たれたと思います。

損得勘定だけではなく、また単純な買い物で

はないということを再確認されたことでしょう。

私もビギナーで始めた2000年スタート当初は

同じ不安や戸惑いがありました。

しかし本物を手にしたとき、大きな感動と希望

や可能性はそれに勝るものだったと記憶して

います。そんなわけで当方の経験をご覧にな

ったうえでAIRSTREAMの本物再生を託して下

さったという経緯でした。。

貴重な得がたき信頼と双方の尊重の関係で

ともに作り上げてきたそんな長期プロジェクト

となりました。

上の写真のタイヤの前は一般的な湯沸かし

器でそれとルーフクーラーは撤去前提です。

今は瞬間湯沸かし器もあり必要に応じて

将来つけることは難しくありません。

◆右には横浜ベイブリッジ。

満を持して大黒ふ頭にて通関後の引取りと

なり、ここからは千葉展示場へ牽引。かなり

重症ですが平気な顔で牽引されていきます。

牽引時に脱落しないようにチェックしてから

スタート。

余談ですが、一般的にアルミの品番は成分

や熱処理記号で世界標準があり、2000番は

航空機のボディに一般的に使用されます。

AIRSTREAMはその2024番を使っていますが

この記事をかくにあたり今年は2024年。

こうした説明を今までやらなかったことを

今年にやっているのも一寸、不思議。

エアストリームもアメリカの有名なアルミ製品

各工場ブランドを過去には三種類使っていた

ので、剥がすと裏にブランドと品番プリントが

見てとれます。1886年溶融塩電解法による

量産世界初のAluminum Company of America

アルコアはアルミ工業製品による革命を

起こした時代のカギとなる発明で有名。

国策もありその後レイノルズとカイザーが

生産に乗り出します。。ライト兄弟が飛べた

のもアルミブロックの特注エンジン軽量化

の成果です。アルミエンジンであることを

隠すために当時エンジンを黒く塗装する

ほど大きな技術革新でした。

 

余談ですがまたラジオやトイレはモトローラ

の下請として松下電子部品と、ものによって

は便器も東洋陶器採用があったのでした。

史実を触って発見するのもレストアならでは。

どうでもいいことかもしれませんが、楽しめる

人がやればそれはいいことですね。

◆車体はフレームが

予想通り部分的に劣悪の状態が明らか。

床板追加補修やこの状態でのフレーム補修

は意味が無く不都合でボディーとセパレート

して補修することになりました。ボディと床・

フレームは上図のような構造のため窓下や

ドア周辺の部分的な穴の場合は必ずしも

床板すべてをとらなくても補修可能です

今回は補修個所が下部全体にかかるた

め、セパレートし鉄板等追加溶接で対処。

単管を組んでボディーを上げるにもかなり持

ち上げないと下は抜けません。軽いからでき

るのですが単管そのものは垂直荷重が横棒

で100kgもないので今回は限度見本となりま

した。補強次第ですがめったにここまでする

ことはありません。

フレームを抜いてから地面に下してしばらく

待ってもらいます。

 

上の写真はフレーム補修後でラダーフレーム

は一応の水平ラインを維持しています。

車軸部分の微妙な歪みからオーバーハング

が長いので鉄も多少のズレはあります。

一度抜いてしまえば作業はとてもやりやすく

なります。アングルや鉄板で補強して

錆止め塗装。フロントAフレームに垂直に立

つ鉄板は唯一位置決めしやすくするための

基準で垂直水平を確認できるリベット穴の

列です。最後部にも少しあるので大きなズレ

があると元通りはまらないわけです。

取り外さないと発見できない様々な不具合も

フレームだけにすることで補修できました。

いよいよ元に戻して位置決めに近づきます。

まず近づけて仮に載せて

◆床板を入れていきます。

手前に見えるフロントフレームジャッキは

電動12Vバッテリーで動きます。ギア関係

が固着して不具合になるので分解清掃再

組立でまずまず機能しました。新品交換は

簡単なのですがせっかく使えるので。

チェーンブロックで上下。数ミリはオーバーで

すが数センチと自在に上下できるので板を

入れながら様子をみつつ切出し、固定をや

っていけます。このサイズより長いと一人での

作業は大変ですしリフト用の単管はもっとしっ

かりとしたものが必要。

◆ソリッドリベットについて

ですがもともと外部パネルを固定に使用し

ているリベットは叩いてつぶすソリッドタイプ

です。下の写真のように二人がかり。

中学校では技術の時間に使った人が多い

はずです。ホームセンターで売っていますね。

ソリッドリベットを打つ時は後ろに受けの金物

Backing Barを持つ人が必要なので手の届か

ない場所はもう一人必要なのです。

◆一般的に簡易なリベット

ヘッドに穴の開くタイプのブラインドリベット/

ポップリベットも後ろに受け手が入らない

内貼り板に使われています。内張りのない

ときはソリッドリベットがとても効率よく綺麗

です。ボディ外部で内貼りを外すまでもない

場合や小さな補修はolimpicなどのブラインド

リベットでヘッドが削れるもの

を一つ一つ頭をシェーバーで丸く削るという

やり方です。一本一本丁寧にやらざるをえま

せんが

飛行機と違いリベットの数はそれほど多くで

はありません。

◆戦前戦後すぐのエアストリームとは

戦後にはアルミニウム素材の民生利用が

復活しましたが、Wally Byamは1945年当時

自社AIRSTREAMを復活させませんでした。

CURTIS WRIGHTという(有名なCURTISSでは

なくSがたまたま足りない別人)航空機関連

企業の誘いで設計開発主任として自身の設計

と戦前の車体コンセプトをさらに発展し提供。

しかもClipperの名前を冠して戦後改良版として

全くの新発想で開発し1946年発売となります。

(当時のパンフ、エアストリームカフェ所蔵)

これが戦後のAirstremのブランドの無い

AIRSTREAMの始まりです。翌年開発者

であるWally Byam本人はCurtisと別れ

本当の戦後のAIRSTREAMを再設立。

AirstreamはMacfaul Brothers による

販売会社を介しさらなるフロント部の設計

改良によりLINERシリーズが生まれます。

1947年から市場に出てきました。

WallyByamの出たCurtis Wright すぐに

会社は競売にかけられましたが技術者

Kenny Neptune ・ James Patterson

・ Frank Politoらに売却され社名変更

により引き継がれさらに生産されたのが

ご存じSILVER STREAK。この会社

も二人の中心人物が分かれた結果に

出来たのがSTREAM LINE いずれも

リベット・ジュラルミンのボディーは共通です。

戦後モデル"1946年~1949年はこんな比較"

(下は在りし日のairstreamcafe展示場)

当時異母兄弟の車体は同じ市場で競争

したという事態になっていました。

上の写真でも判るように50年代1957までは

もともとは径の小さなリベットで平板をつなぎ

初代以来の曲面のボディを造っていたので

接合強度の点から数が多かったのです。

1958年以降のモデルチェンジから立体プレス

曲面外装パネルを使うことで劇的にリベット

が減少。一台当たりの生産スピードは上がり

月間生産数増となりました。結果的に各年代

のデザイン=顔が年代ごとに大きく変わります。

◆まずは仮固定

できました。この年代以前の60年代後期より

ボディ側面下部は下に巻き込み部分があり美

しい曲面を持ちます。そのため最後の固定ま

でだらしなく垂れ下がっているのは見えていま

す。この面も曲げてから固定しなくてはならず

反発力は手では無理なので曲げる面をジャッ

キアップする形で押さえたまま打ち込みます。

ヒッチカプラー部は状態はしっかりしています

が牽引車との配線7芯ケーブルは新品交換。

◆オリジナルの配線

は結線部分からひどく傷んでいます。錆びて

交換するサーキットブレーカーはバッテリー

と牽引車からのチャージケーブルの間に配置

されています。下のようにターミナルボックス

がトレーラー用一般的パーツとして売ってい

ます。結構大きいので床下固定としました。

 

下の写真はケーブルターミナルですが日本

の車検用に配線は変更しています。

下の写真はドラムブレーキユニットとショック

アブソーバー交換済時

電磁ブレーキも一般的なパーツとして交換が

容易です。古いものを取り外すのはそれなり

に手間ですが、錆び汚れを落としてみるとま

だしっかりしています。

防錆塗装によりすっきりしています。

 

◆多くのトレーラーのレストアで窓は課題

各部、傷んでいることが多く錆やよごれが

ほとんど。ガラス面とパッキンを交換するため

には内外フレームをリベットを除去後に外しま

す。しかし分解できないものもあります。

写真でも合わせ隙間が見えるように左右U字

チャンネルの挟み込み構造でセンターで合わ

せ金具で接合です。左右に丁寧に叩いてずら

していきます。フレームを壊さないように取り外

し新しいポリカーボ板を入れるわけですが年式

によりパッキン形状を選択しないといけません。

今も売っていますので交換は可能です。

 

窓はシンプルな開閉構造ですがロック用の

金具は錆びて動かないこともしばしば。

ルーフクーラーと古いルーフベントは撤去し

て新品交換とし、クーラー部はたくさんの穴

が残るので外から大きくジュラルミン板で

塞いでから新しい開口からルーフベントを

入れます。天井換気扇でシーリングベント

とも言います。がプラスチック製はいつか

交換になります。

フロントの各ウインドウは脱着され無事入

換済となりました。

フロントウインドウはもともとこの状態です。

トラック楕円のフィックス窓も脱着交換。

◆センターの窓下には

トレーラー水平レベルゲージがありますが

当時のデザインのまま別ブランドで今も売

っていますのでそっくり交換できます。

取り付けるフロントパネルは角度がついて

いるので前後方向のゲージは基準線をず

らして見るしかないようです。

下はちょっと磨いた部分。傷もあばた的な

小さな凹みも磨くと気になりません。

傷はあるままに磨くことでより美しくなります。

過去の傷を隠ぺい・糊塗する事はないのが

ボディの大きな概念の相違。

人の人生もこうありたいものです。

傷があるまま、磨くと全てを反射していながら

個性的な唯一の存在になります。ありのまま

から半日、磨くとそういう気持ちになりますよ。

 

◆一つ一つの窓

のフレームはブラッシングやブラストなどで

綺麗になります。汚れの下には輝きが待っ

ているので作業は大変ですが結果は歴然。

劣化プラスチックではこうはいかないもの

です。それでも70年代以前からプラスチック

は各所使用されてきています。

1969年は他の70年代よりは少ないですが。

50年以上の時間は保存状態によっては

簡単にクラックから割れてしまいます。

 

この年初めて採用された新方式の窓開閉

構造。正確には戦後から50年代二世代前

の復活ですが60年代それまではクランク

ハンドルとギアの回転によるアームスライド

構造でパーツの構成は多少細かいもので

した。下の写真は62年。左手のアームが窓

フレームの溝に入っているのが見えます。

そこがスライドして開閉できるわけです。

また車検の際はこの窓の開閉を制限しなく

てはならないのでした。

◆構成部品が小さい

蟻程の小さなバネやプラスチックのスライド

駒ボディとのレール固定にも驚くほど小さな

ネジとプラスチック小片があり草むらで落と

すと二度と見つかりません。当時のモデル

チェンジのテーマはパーツ減少組み付け

簡易化に違いありません。その点では

改変後は楽です。

 

◆スライド式無段階の開閉

角度操作が戦後モデルから60年代への改良

主旨でしたが、大胆に三段のみ段階固定に

割り切りました。不思議なことにもともと一番

最初は自動車と同じガラス上下スライド式の

ハンドル回転ですから、コンセプトはある種

の退化路線になっています。そもそも外に

開くような構造ではなかったのです。

これこそがモデルチェンジの際にデザイン

設計の考え方の違い意見の分かれるところ

ですが二つの立場(メーカーサイド生産効率

とユーザーサイド使用と維持管理)にとって

改変した結果、良い事と悪いことは存在しま

す。あえて言えば大抵はユーザーにとって

都合悪いことの方が多いのも事実。

ここで言うユーザーというのは、使い捨てを

否定するユーザーのことであり、そもそも

そこから定義しないと何も語れないですね。

◆蘇る輝き

沢山有る窓ですから、気の長いお話ですが

モノに寄りますが2週間くらいで済むことです。

上の写真のようにこの鉄のロッドと留め金

三段だけでのオペレーション。

つまり微妙なところでは留ってくれません。

もともと40年代50年代の窓はそうゆう概念

でした。下の写真でクリックするとyoutube

動画で室内外ちらっと見れます。当方で特別

にレンタルしたPVです。

車体は1953年Flying Cloud 21ft.

フロントガラスはFIXなので鉄製ネットも無く

割れば脱出できます。それ以外は網戸ネット

があるので出にくいものです。ただ網戸は

必須アイテムで様々な外敵の侵入を防ぐ

必要があるのがアメリカです。

 

60年代のみ無段階固定オペレーション

アーム(クランクハンドルとギアでアームが

ゆっくり額縁フレームの溝をスライド上下し

て開閉する仕組)だったのです。

この窓は少しだけ、開閉を自由にできると

いうこと。キャンプすると少しだけ開けてた

い時はあるものです。

 

こちらは映画[バックダンサーズ!]のなかでの

挿入歌PVです。実際に当方でロケレンタルと

公道走行シーンで協力したなかでのPVです。

クリックでご覧になれますが、この窓も写真

では少し開いてます。

1965年まではフラットな窓額縁フレームで

ガラスは割れても入手は町のガラス屋さん

でもできます。しかしギアや金具が壊れや

すいところは否めません。それは設計とは

別の製造の問題です。

★写真は曲面を極めた窓のデザイン変更

また両手で同時にクランクを回すのは幅広

窓では大変で、66年からのフレームレス窓は

面白いほど大変な操作性でした。曲面ガラス

はボディラインと一体になり絶妙な凹凸の少

ないデザイン外観を呈しその点においては

理想追及のボディが完成されたわけですが

操作性はその分の犠牲を払うことになります。

それはそれで良しとする美学も全然あると思

います。

 

窓の開閉機構、その点は40年代50年代が

壊れなくてシンプルで良いのですが網戸が

簡単には取れません。40年代は窓も小さくて

脱出も道具無は不可能です。50年代も前後は

比較的簡単に脱出できますが

40年代は大きなハンマーとバール、金ばさみ

が脱出するには必要になります。前後の窓は

アクリルのFIXはめ殺しなのでした。

窓そのものは操作性は悪くないのですがその

メンテナンス性が悪いのです。ただアメリカで

これで探検する人はショットガンも携行してい

るくらいなので窓壊すのは平気かも。

 

◆写真は60年代後半1966.67.68

のカーブ曲面ガラスを使用したフレームレス

ウインドウでオペレーターパーツが変更され

ましたが基本的な設計は同じです。

 

60年代は室内採光も大きくなり簡単に網戸を

外し交換洗浄など、すぐ脱着できます。緊急

時容易に全方向脱出できます。下の写真を

クリックで65年製造Safariをご覧いただけます。

当方のレンタルで近所の山林で撮影。

この車体は小笠原父島のUSK COFFEEで

店舗になっています。右下のドラムの人は

父島に仕事で行ったときに偶然自分のCD

プロモーションVの使用車体を小笠原で発見

驚いたそうです。余談ですが。

◆全てパーツは進化という必ずしも

良いとは限らない変化をしてきました。

これは電化製品でも皆さんそこそこ生きて

いると肌でわかります。あれこれと、どちら

ともいえない部分はたしかにありますが特

に車体のプラスチック導入には経年劣化

という問題と継続供給されにくい問題は

根底にあるものです。維持することを基本

にすればシンプルな構造メンテナンス性を

設計思想で優先する姿勢になります。

ユーザーのメンテと努力はどの場合でも

必要ですがパーツの安価な供給は大切な

作り手のモラルです。それは良いものをい

つまでも使い続けることを目的にする設計

の立場です。今の世の中そうでないことが

現実にあまりに多いので強く主張すべき点

だと思います。企業論理から話をする人は

大きな勘違いをしているわけで、私のような

何者でもない個人が言うことは無視する

そうした世の中ですね。

 

◆話はそれましたが、70年代の窓。。。

その後数年後にスライドピン方式を採用し

ますがこちらも数段階でとまるだけです。

機構上のトラブルやメンテ性も悪く基本構造

はモデルチェンジのタイミングでまた70年代

初期の構造に戻ります。80年代90年代はそ

のシンプルな構造ならではの安定したメンテ

ナンス性もありオーナー負担の少ない良い

時代といえましょう。各年代を継続して使うこ

とによりこうした具体的な問題を横断的に

お話しできるのも当方のお客様のメリット。

90年代後半からモデルチェンジで窓は大き

く変わります。

それは60年代後半と同じフレームレス構造

ガラスに直接金具を固定になってしまいます。

これのいいところはすっきりと軽くカッコよい

のですが、割れるとアウト高額です。下の

写真は台風被害の国内の例です。フレーム

レスは見た目にすっきりですね。

写真は左手がフレームレスの開閉窓ガラス。

その下トラック楕円と右手FIX窓は、開閉不可。

90年代以降FIX窓は割れるとフレームごと交換

になります。ガラスはアルミフレームに対して

強力な防水接着のためガラスのみ外すことが

不可能。ガラス交換も出来ないパーツとなり

ます。防水としては理にかなっていますがこの

ように割れるとフレーム付のパーツを輸入しな

くてはなりません。交換作業はとても速く修理

する側に立つ良い結果ですが、オーナーは

輸入するのに時間も経費もかかり懐に厳しい

結果となりました。メーカーの立場で改良され

た判りやすい例です。おそらくやがては入手

できないときが来ると思います。

基本素材の基本加工による組立設計は

半永久的に存続できますのでそうした姿勢が

長い目で見た場合の設計の答えでもあります。

写真は交換済状態。すっきりさすが高額部品。

昔のようにフレーム脱着できない作りに変わ

っています。開閉窓ガラスの交換はあっとい

う間です。フィクスFIXの方は丸一日かかります。

 

◆妥協案や代替措置はありつつも

考え方では金具は残るのでポリカーボに

交換すればよりフレキシブルではあります。

それでもガラスとは異なり、ポリカーボその

ものがしなるために変形し本来のガラスの

曲面と美しさは同じとは言えません。しかし

上写真のように今は高価でも交換ガラス

は売っていますから現時点は考え方次第。

答えは人それぞれのものですね。そもそも

そこに窓が必要か否かも自由な選択とい

う事になります。

 

 

◆元に戻って1969年の窓

とりあえずこの車体には脱着再組立てと

研磨がこの答です。

こちらも売っているパーツなので全く同じでは

ないですが代用は可能です。

鋳物パーツの割れは外す時にもよくあること

です。リベットのバッキングバーの上です。

取り外す時に割れたこのパーツ本当に54年

間御疲れ様でした。平気なほかの窓金具が

殆どです。しっかりメンテで超長寿命です。

少なくとも我々人間より何倍も存在できます。

シンプル構造で復活しやすい初年度の窓です

がフレームに取り付けている金具受け手のも

のはリベットが小さいので強度も弱く殆どが外

れる寸前か外れていますので分解の際に打ち

直しています。ドアフレームもすっきりブラッシ

ング後となっています。

10個所もある窓関係もだんだん仕上がっ

てきます。部分的な錆はブラッシングして

おきます。全体にポリッシュするときまで

均一な表面はできませんが我慢です。

◆室内の床板が済むと

上からボディは降ろされ位置を決めると

床板との接合がうまくいけばモールを入

れて仕上げとなります。ただ気を付けた

いのはモールを止めるリベット穴も密閉

されていないと雨漏り経路になるため

室内壁を塞ぐ前に室内側から確認して

漏れが無いようにコーキング等で必要

な個所は対処することになります。

特に床に接合している壁用のレールは

まるで排水路のようになる場合があり、

そこから床に流れてくることは想定の

範囲で対処します。もちろんモールその

ものにも問題理由はあるので取付後に

隙間にはコーキングしています。

ガレージに保管できるお金持ちには必

要ありませんが。冗談ではなくてアメリカ

にはたくさんガレージに入ってるわけです。

家より大きなガレージとは日本では考え

にくい現実もあります。

 

◆日本で使用する場合は

日本人がアメリカと同じ使い方や振る舞い

やとらえ方をマネする必要は有りませんし

完璧には不可能でしょう。単純な憧れなら

いつか虚しく飽きるのかもしれません。

それよりも日本人だからこうなるという必要

性や使い方や発想が私たち日本人が歴史

上得意としていつもやってきたことだと思い

ます。

環境、法律、経済、ライフスタイル身体も

思想も違うなら違うように使えばよいわけで

す。私はそうして付き合っています。それも

住みながら。もちろん日本人としての私の

必要性があるからやらざるを得ないわけです。

正解は地球に一つではなくそれぞれの国や

民族のオーナーの自由選択なのだということ

ではないでしょうか。正解は無いと言えるのが

正解です。

◆ジョンウェインのデビュー映画BIG TRAIL

はアメリカの幌馬車の開拓時代が描かれて

います。アメリカ西部開拓や独立戦争も含め

てヨーロッパからの移民国家の強いフロンテ

ィア精神のみならず現代のアメリカンRVの精

神的な背景とも言えます。アメリカンスピリット

を象徴するジュラルミンの幌馬車それこそが

AIRSTREAM。

彼らは本当に幌馬車で旅を続け命がけで

個人の生活と町を創っていったのです。

命を懸けて生きる生活は今も世界のどこか

で真実であり、日本もいつそうなるかもしれ

無いことは歴史が証明しています。

 

◆アメリカ人の世界に誇るブランドの一つ

AIRSTREAMは国内外を旅する最高級のトラ

ベルトレーラーとしてアメリカ社会に君臨し

現在も生産しています。

しかし、世界の道路事情を考慮するとどこも

アメリカと同じではないので市場性も別環境

のなかで限定的なのはあたりまえでした。

道路も個人の家での駐車スペースも余裕の

無い日本なら普及しないのも無理もありませ

ん。

 

◆日本人の社会においては

無関係な存在と思えるはずです。そこに私

の実証実験の意味があると思っています。

私も可能性と夢をもって自分なりの感性で

エアストリーム生活を2001年以来し続けて

います。必要が無ければやっていません。

それは昭和の高度経済成長に生まれ育っ

た普通の日本人による実験です。変人と

は言われますが。

日本社会の中での人生、生活の継続的な

実証実験を本日もしていることに他なりま

せん。それこそ、アメリカ人に言わせれば

Crazyなのです。それが私の必然性

なのですが私に言わせると東京などの

都会はCrazyなのです。

余談ですが写真は2006年に住んでいた

エアストリームで産湯をつかる長女。

彼女にとってAIRSTREAMが生家実家です。

初めての育児はエアストリームではじまりました。

31フィートSOVEREIGNは独立国という名前。

ところが

歴史的にはアメリカでは実際トレーラーで

生活していた若者夫婦は古くからいて生ま

れた子供は珍しくありません。一時的では

ありますが住宅不足だったアメリカ戦後の

復員兵をはじめとする戦後の若者が親とな

るころのベビーブームにはさらには多くいま

した。やがて、時代は変わり80年代90年代

はベトナム戦争での復員兵の社会復帰が

ままならないなか貧困な家庭はトレーラーに

住んでいる現象が多くの映画にその主人公

たちの自由奔放な住まいとして描かれだしま

した。そこに現れるのが過去に高級だった

時を経たTRAVEL TRAILERです。

エミネムの映画8mileは主人公のお母さんが

VAGABONDというトレーラーーに住んでいる

設定です。監督自身もエアストリームマニア

だったティムバートンのMARS ATTACKや

若いころのジョニーデップとディカプリオ共演

ギルバートグレイプはしっかりと出てきます。

クリントイーストウッド監督ケビンコスナーの

A PERFECT WORLDは意外な使い方での

登場です。他にもハリウッド映画に名脇役

として絵になるAIRSTREAMは沢山あります。

 

VINTAGE TRAVEL TRAILER文化は

戦後40年間で市場に増えたAIRSTREAMは

時を経てVINTAGEと呼ばれ始めます。もち

ろん、いつも新車は翌年新古車となり10年

後20年後30年後に価値を増すのです。

ただ普通はそこまで車体が維持される

ことが日本では特に少ない訳です。

1990年代に草創期を経てここ10年はもっ

とも拡大しました。COVID19においてはむ

しろ、多くのメディアで脚光を浴びる良い

題材として利用されたようです。

もともとWALLY BYAMはハリウッドの住人

であり若いときはスタジオで仕事も経験し

ていた映画業界に人脈を持っていた人。

当初からトレーラーをロケや移動メイクル

ーム使用にその活躍の場を見ていました。

写真はBarbara Stanwyck

(1907-1990)AIRSTREAM

1935年Trailer Travel誌の表紙アカデミー賞

女優バーバラ・スタンウィックですがメイク

ルームは彼女のAIRSTREAM (木造製)

Silver Cloudです。室内高を伸ばすため

床レベルを下げた設計は当時WallyByam

の設計です。

◆1990年代以降

AIRSTREAMの環境は情報ネット時代に

入り多くのアメリカの若者をその歴史的な

ボリュームとクォリティでも購入可能な

現実の情報としてネットオークションに

登場しだします。

Vintage AIRSTREAM だけでなく

vintage RV の世界はデザインやモータ

リゼイションのなかでレトロなテイストを

好む業界関係者はもとより静かに熱烈な

ファンを集めました。

必然的に掲示場や専門的な知識を

まとめた発信者サイトが各地で現れました。

Vintage Trailer ファンの掲示板には

上記のトップハリウッド女優の表紙に

『これ俺のばあちゃん』という記事もあり

ました。時代は過ぎていますが我々は

現在、パラレルに10年ごとに変遷した

様々な時代のスタイルを自由に体験

手にできるのです。

VintageTravel Trailerは同時に

Time Travel Trailer なのです。

 

ジュラルミントレーラーを造る前からの

ことなのですが世界初のジュラルミントレーラー

BOWLUSを当時ロスアンゼルスのセレブに

売ったのも彼Wallyの営業になります。

▼写真こちらが

ボウラスの工場関係者ピスヘルメットを着

用がウォーリーバイアム。センターに立つ

腕まくりシャツの人がボウラスと出資共同経営

者のテラー。眩しく横たわる胴体/車体は

BOWLUS ROAD CHIEF 1934年製造開始

一台クラーク・ゲーブル(トップ俳優)に売った

のはまぎれもなくWally Byamです。

Bowlus自体は本拠地はサンディエゴのライアン

エアクラフト(アメリカ初の定期就航便会社)が

メインですが、言わずと知れた当時のヒーロー

リンドバーグの大西洋単独飛行機体の基本

設計技術主任ですが、ソアリンググライダー

のパイロット滞空記録ブレーカーで常にその

最前線にいたパイオニアです。免許ナンバー

は二番でサインした人がライト兄弟オービル

といえばその歴史の草創期から最前線にい

た人です。当時のセレブたちがあちこちから

集まってくる場所でもありました。

当時リンドバーグの盟友ですから自ずと人

や話題の集まる環境だったことは理解でき

ます。

現在アメリカの 富豪により新たなリバイバル

会社もできて復刻版は現在売られています。

こちらがそのホームページです。

ジュラルミントレーラーの原点で頂点ですね。

欲しい人は沢山いますが買える人は少ない

世界かもしれません。

最上位モデル31万ドルからだそうです。

www.boulus.com

 

◆前後しましたが

世界で初めてパイプフレームのセミモノコック

ジュラルミントレーラーはHAWLEY BOWLUS

によって生まれました。ボウラスが航空機開発

に専念しているため傾いた会社を引き継いで

より発展させたのがウォーリー・バイアムです。

下の写真は1936年のAIRSTREAMのClipperの

原型ともいえる1935 BOWLUS Road Chief。

◆とはいえ、トレーラーそのもの

存在価値はボーダーレス無限でニュートラル

でフレキシブルなインターナショナルな移動

空間。それこそが真価なのです。

国境を、時を越え無限に旅立つ存在といえば

確かにそれはAIRSTREAM創設者Wally Byam

の願い、根柢にある思想です。

もちろん彼はその著書でトレーラーは住むモノ

では無いとはっきり否定はしています。

彼のモットーは家の便利さ居住性の良さを

旅のトレーラーに求めるということ。幼少期

の短期放牧幌馬車生活の原体験がその

大きな要因でしょう。

所変わって時代も変わり、時空を超えて

戦後の狭い日本に住む私に言わせれば、

"悪いけどこれに住みたいから住むよ、、

これで充分!" なのです。

◆日本らしい文化の輸入、受容と変容

ナポリタンスパゲッティーはナポリに無いのと

同じこと。日本で使うからです。皮肉なことに

アメリカで最も裕福な人たちが順番待ちして

買ったトレーラーは長い時を経て安くなり国を

変えてリユースされ、ついに貧しい人を救う

スイートホーム、身軽に余裕で住める家にも、、

誰にも造れない個性と歴史を兼ね備えた

素晴らしいお店にもなるのです。

◆不都合な真実だから

デザイナーや建築家は太刀打ちできないの

が分かっているので決してよく思いませんし

仕事の邪魔になるのです。もちろん

不動産や土建屋さんもお金になりません。

これは私が過去に人の金で作る側つまり

デザイナーの側でしたのではっきり言えま

す。俺ならこう造るは、たった今はいらない

のです。俺ならこう使うでいいのです。そ

れができない使い方を間違うのが日本人

です。例えば税金とか、、、。

昨今は特に

それを主張すべき事態だと思います。

 

◆そうとらえればAIRSTREAMは無限の

可能性を例として日本人に示しています。

地球的グローバルな存在でありどの国に行

ってもおかしくなく人を感動させる姿と内容

からして可能性は無限です。

どこかの町にAIRSTREAMのCAFEがあった

ら目に見える絵はまるで絵本の中のページ

のようです。下写真は実際のお客さんが過去

に屋台として営業している様子。特にお子様

には喜ばれます。心に夢を持つ余裕のある

大人のお子様は輸入したりします。。

世の中には、エアストリームを見て立ち止ま

る人と、何も見なかったように意識しない人

の二種類がいることを牽引すると知らされま

す。既成概念に強く影響され支配された生活

をしていると目の前のものも関係が無ければ

意識されないで無視してしまうということも有る

のでしょう。忙しい都会生活にはよくあること

かもしれません。

◆当方の屋号 airstreamcafe.jp

はそこから来ています。たまに喫茶店だと

思ってネット地図からフラっと来店される

人がいらっしゃいます。

その時はエアストリームのCAFE店舗を売る

お店屋さんとしてお詫びしています。無論

エアストリームに興味のある方がいらっしゃ

れば楽しくお話できます。

訳有りでまぎらわしい名前付けています。

 

◆戦争の新素材として

航空機に使われたジュラルミンが兵器と

してでなく街に現れたAIRSTREAMがお菓子

やお茶の屋台ならどの民族・国の人たちも

特に子供は喜んでくれるのは目に見えます

よね。ジュラルミンの平和利用の極致では

ないでしょうか。アルミ生産は大電力を

使わないと作れません。それを半永久的に

公道や町で利用し続けることが世界ででき

ますから、多くの人を助け喜ばせそして、

耐久性があり修理してまた次の人が別の

時や場所で別の目的に使えます。

宗教、言語、政治思想、経済など人間は

偉そうに自分たちで作った見えないもの

に分断され心も体も病んでいます。そんな

地球のどの国でも街の片隅にAIRSTREAM

そしてCAFEがあらわれたら、人は素直に

笑顔になれます。AIRSTREAM CAFEは

普遍的なツールとして分断された地球に

まるでUFOのように異次元に可能性の

開かれてた存在ではないでしようか。

 

 

◆脱線続きですが、、美術大学時代

私は絵画でも油画専攻の出身でしたが

生涯の道とする決意ができませんでした。

迷いつつ遅めの就職から工業デザイン、

事業・商品企画や広告映像などの現場

でかろうじて食べてきました。

デザイン会社を脱サラして独立後に個人

事務所で数年間東京の広告代理店の下

請け仕事を続けました。当時中古マンショ

ンの一室を深く考えも調査もせず固定金利

ローンを支払いました。しかし不安定な

収入状態から継続を諦め手放すことを

決意しました。幸い都内のためにすぐ売れ

解放されましたがその時にAIRSTREAMと

出会ってライフワークとする決意をした

次第です。決意というと大げさですが

そういう時は悩みから解放されてあっさり

心で決まるものです。トンネルから出た

ありふれた表現ですがきっと一般的な

事なのかもしれません。

生活環境の転換が否応なく始まり

この未知のAIRSTREAMに暗中模索で

夫婦で分け入りました。子供がいなかっ

たので身軽に。

 

そんなわけですから、ものつくりのデザイン

といっても今までは小物ばかりで車体をい

じる設備も道具も知識もありませんでした。

それまで絵具以外で汚れる仕事は無かっ

たわけです。いきなり移住というテーマに

挑んでなんとかこぎつけたのが2001年夏

という経緯でした。

その時、初めてインパクトドライバーの存在

を知り慌てて買ったものです。写真は75坪

の住宅地駐車場をまとめ月極め借りした

土地でスタートした様子。この五年後に

子供を授かりました。1978年のトレーラー

で人間らしい生活を取り戻したようでした。

◆2001年の75坪のすし詰め状態から

 

◆2008年には脱出で約750坪以上の田舎で

中古クルマより価格の安い雑種地へ。

◆下の写真は一時31ftから22ft.24ft.を隣接

ダブルで使用。短い車体二台での体験。

生活すべてがAIRSTREAMになり目の前の

車体を見ていつもその価値を自問自答や

再考察を繰り返します。モノのデザインの

歴史で考えるとこんな物体・モノってこの

地球には他にはあまり思いつきません。また

今風な言い方でのサスティナブルで使い捨

てではないのです。それはものづくり精神で

は本当は前提・基本です。2008年に次女が

誕生し現在の土地へ移住。引越しは荷造り

なしでそのまま牽引約15km東へ(写真は34ft

.1989年)ほぼオリジナルで現在にいたるまで

住んでいます。

12年以上観察すると環境により劣化しやすい

部分とそうでもない部分があることが分かり

対策も考えられます。

当時は雨除けの軒も付けていません。

 

◆産業革命から、

現代のモノづくりのシーンは様々な問題を

社会に痛烈に突き付けています。いつの

間にか良い品質と品物の本質に対して、

問題の原因が消費者と生産者の社会や

人間性の問題になっているように感じます。

アメリカの自動車パーツ、RVも同じですが

殆どが大量生産のアジア製となっています。

◆モノに口があったら

"汚くなったら捨てください。飽きたら、壊れ

たら捨ててすぐに次を買ってください。"

そんなことを言わせているようなものです。

愛する人にそんなこと言われてたらどうし

ますか?モノを作る人ならそんな関係は

おかしいとすぐわかるはずです。最近の

ものには使う前に壊れていることがあり

ますが人間性の問題といいたくなるのです。

モノのように人間にも同じことをする人は

連日ニュースで報道され珍しくもありません。

いや太古から人は人を殺してきたのですか

ら、我々にはもはや倫理的なことを言う資格

すら無いのかもしれませんが、、、。

社会という車にはブレーキが無いようです。

◆AIRSTREAMの特殊性

今の時代こそ、大量生産、大量廃棄、大量

消費の概念を清算する時かもしれません。

アメリカがまさにそうした国ですがその中か

ら生まれたAIRSTREAMが唯一無二の存在

として現代の人・モノ・生産に問いかける一

つの象徴となるのも悪くないストーリーです。

米粒ひとつを大切にする日本国民は

今や企業論理という間違った思想で食品

や物品を大量廃棄する国になってしまい

ました。

 

◆話はAIRSTREAMに戻りますが

(ずっとAIRSTREAMについて言っているつ

もりですが脱線はあります)事実その当時

の上位モデル車体のエブレムにはINTER

NATIONALと基本モデルをランドヨットとプ

レートに掲げられています。時代により変

化したのでメーカーブランドのみで名前は

タグすら無いラインナップもありました。

 

◆今回の車体はGLOBE TROTTER

地球を駆け回る韋駄天=世界一周の

マゼランなど冒険家の意味。

○AIRSTREAMは車名ではなく社名。

○上級フル装備をINTERNATIONAL。

○商品名は陸のヨットそれが基本です。

商品名LAND YACHT ランドヨット

ですが60年代当時は自動車市場でも

意味の通用した言葉で贅沢な高級車の

カテゴリーで流行り使われました。

また同業他社も

AIRFLOATは木造アルミ張りですがそのな

かでも群を抜いて高度な技術でつくられた

高級トレーラー。設立も1930年。現在は存在

しませんが中古市場ではたまに出てきます。

映画"Once upon a Time in Hollywood "

当時のトレーラーが出てきますが

Vintage が一昔前の高級品が安くなり

ストーリー設定のなかで扱いが正確に

描かれているだけでなく、今まさにその

価値とCoolさが現れている最高の映画

だと思います。

はたまた国外ドイツでも同じ名前は使われ

たりと独占的な意味合いや権利争いは

名前には無いようです。しかし、デザイン

形状では訴訟は起こしています。

ドイツには沢山のトレーラーやモーター

ホームの発展がありますが構造そのものに

航空機のエッセンスを取り入れる思想では

生産者としての重点にはならないようです。

その意味ではAIRSTREAMは翼のいらない

航空機ともいえます。

 

◆エアストリームの創業開発者 

Wally M Byam 

ウォレス・マール・バイアム

AIRSTREAMを産むべく生まれた人

Wallace M Byamの墓地のホームページより

彼は青春時代学費のため遠洋航海の船に

乗り込み働いた経験がありました。各トレーラ

ー長さごとに分類するにあたりアメリカの誇る

帆船やヨット、航海の歴史的な名前をルーツ

としたのも自然です。

最初のGLOBE TROTTERはマゼランのこと、

船舶名や用語系としてCRIPPER,CARAVEL,

TRADE WIND , FLYING CLOUDなど。

陸路のOVERLANDERとTRAIL WIND や

SAFARIなども探検冒険の範疇では王道の

言葉ですね。(Bambiは特別な経緯がありま

す。)国際的な外交の意味でAMBASSADOR

:大使や SOVEREIGN も独立国という具合で

す。アメリカ独立戦争当時の精神性も彼個

人的にも深い思い入れのある歴史的背景

と言えますし当たり前ですがお客も同じ経済

的にも力強い成功したアメリカ人。

 

◆有名な事実ですが彼は7月4日に生まれ

ました。そんな人だから7月4日の週には

全米からWALLY BYAM CARVAN CLUB

INTERNATIONALの全国大会が開かれ

全米から会員が集うのです。

AIRSTREAM車体でしか入れません。

 

過去の航空会社PAN-AMのBoeing

747機体にも同じような名前を使っていま

す。21フィートの名前でGlobetrotter 21ft.

です。70年代はそれまでの長さクラス分け

にそれぞれ1フィートを追加したラインとな

りました。そのため中途半端な数字段階

となります。

 

それは、牽引する自動車エンジンの

馬力進化の証でもあります。その後

装備も重くなっていきますが、他のRVと

は材料のジュラルミンでやはり軽く低

重心となる訳です。下の写真は1959年

以前の22ft.か窓に雨よけがあるのは

1962まで。1963年よりシンプルなチャン

ネルになりそれすら1966年に無くなります。

 

◆ドイツ人が発明発見したジュラルミン。

ヨーロッパにもRVの歴史は多々ありますが

しかしこの材料でトレーラーは生まれなかっ

た。その理由がアメリカ人との環境国土や

地理、風土はもとより地理的な旅の意味や

条件の違いから当然の結果です。

その国環境に"らしさ"であり"理由"があ

ります。トラベルトレーラーが普及しない

日本にも歴史と理由は当然挙げればキリ

が無いと言わざるをえません。。

とにかく使い方は自由ですが、何事も交通

社会環境の国ごと事情があり努力で適応

はしていけます。それでもトレーラーという

被牽引車だからこそ可能になる事がとても

多いわけです。ジュラルミントレーラーの

誕生の歴史、飛行機由来で生まれてきた

理由は歴史家ではないので聞きかじりで

すがインスタ記事にしました。

ご興味あれば是非その辺は別に

インスタグラムにてご覧ください。

https://www.instagram.com/tincantouristsjapan/

で最初の記事検索してみてください。

自分はインスタをしないので仲間に間借り

で載せてもらっています。

後方のトラック楕円反射板赤色。なんと日本の

法律で10cm後ろにしなくては車検通りません。

右のリベットを残して180度回転させました。

いろいろと寸法・位置など細かいことをやります。

よく日本仕様写真をアメリカの協力スタッフに見

せると醜いと一笑されます。それが我々の環境

なので適応していかないとナンバー取れないなら、

そうしないといけません。彼らより多くの経費や

手間を払っても得られる満足のほうが遥かに

信じられないほど大きいので、全く腹も立ちませ

ん。エアストリームはそれほど民族や文化を超

えてCOOLな存在です。

形ができたら配線関係を整え車検に向けて

新品パーツを取り付けていきます。

12Vランプのソケットは錆びることが多いの

ですが原形のないほど朽ちることも多く

迷わず新品に交換です。

室内の12Vの電装器具はシンプルなのです

が結線部分も銅線もかなり錆びてスイッチ

は補修の限界を超えて交換になります。

アース不良も怪しいところは交換すれば解

決。今回はスピーカーカバーが右側欠損で

したが、以前の車体で取り払ったものが

運良くはまりました。また壁面取付ランプ・

アンテナも含めて当時のものです。

簡易なカーステレオとスピーカーは新品なの

で音もそこそこ鳴ります。。フロント上部のキ

ャビネットはドアのみ板の差し替え。金具は

そのまま使用。

室内パネルは下地塗装して断熱材をはさん

でリベット固定。天井はLEDスリムなダウン

ライトを入れています。

下の写真はフィックスウインドウの内側アル

ミ枠。しっかりブラッシングすると見違えりま

す。

ボディが一通り終わったら試し牽引で近く

の九十九里浜に出ました。牽引車両の

ヒッチボール荷重負担軽減にウェイトデ

ィストリビーションヒッチを取り付けていま

す。ヒッチボール一点にかかる荷重によ

りトラックの前輪は浮きあがり後輪は下

がるのですが、前輪の接地荷重は軽くな

ってハンドルが不安定な状態となります。

 

トレーラーとの連結部を折れ曲がる点で

なく線的に鉄のロッドで固定する理屈な

ので連結部が折れ曲がらず水平になる

と荷重配分が元に戻り。結果的に前輪に

荷重は増えて後輪が減ります。荷重を元

のように各車輪に分配します。下の写真

のように三軸ともバランスよく水平になる

わけです。牽引能力は車種によって大き

く異なります。

今後オーナーはシボレーのトレイルブレ

イザーで牽引します。試運転で問題なく

バランス良いことが実証できました。

車検時の乾燥重量は軽くても旅をすると

あれこれと詰め込みがちで、すぐ重くな

るものです。平坦な道ではあまり気にな

らないかもしれませんが下り坂で恐ろし

い事になる場合はブレーキ性能を加熱

で失う事態です。走ることより止まるこ

とのほうが大切なのです。

キャンピングトレーラー登録の室内はベッ

ドの面積個数と炊事設備等で室内の半分

は占めないとならない法律でして、室内が

カラのままでは綺麗でもダメなのです。そ

のために二つのプランを検討しましたが、

トイレシャワーなどが無く今回大変シンプ

ルな空間です。オーナーも最初はトイレシ

ャワーなどの設備を想定していましたが

ご本人的な色々な運用場面を想定される

時、各地で温泉もスーパー銭湯もトイレも

コンビニも多くある中で、そうした施設利

用を前提とした運行でも達成できるとの

判断です。

そうした運用スタイル、運行経験をされて

必要・不必要を選択し将来的に追加する

のも自由です。今回の場合はかなりスペ

ースを有効拡大できます。

またそれは車体重量の軽減という牽引す

る上でのメリットを得ることもできるのです。

目には見えないアドバンテージで車検証に

小さく数字があるだけですが結果、車検時

は今回の計量でわずか1200kgに抑えられ

ました。

プランイメージから図面にするもかなりス

カスカな室内です。まだまだ将来的に変更

可能ですが、大人6人以上が余裕で寝っこ

ろがれます。

また、ベッドは収納にもなり炊事設備も完全

フラットになるためさながら移動展示ギャラリ

ーとしても活動展開レンタルも可能です。

完成フロント室内

室内壁は質素ライトグレー塗装のみなので

汚れてもまた塗装していただけます。

同じくタイルカーペットも一枚でも張替え自由。

将来ばらす時も、重さも考えて作ります。

完成リア室内

 

こうして迎えた予備車検。フロントフレーム

には国内の車体ナンバーを職権打刻されました。

今はシールですが。

テキサスの野原での放置からエアストリーム

は太平洋を越えてそれまでの母国での歴史と

は全く別の新しい旅がオーナーとともに始まり

ます。

これから繰り広げられる未知のストーリー、時

空を超えて旅はオーナーとともに続きます。

安全快適でありますように願ってやみません。

 

誤字脱字乱文失礼をお許し下さい。

エアストリームカフェ 岡本博志

info@airstreamcafe.jp